IAIIAI:Internet Media

「アイ・エイ・アイ」:IAI

「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内 1-9-1


「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー
「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー
「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

藤田嗣治 (1886-1968) は、乳白色の下地に描いた絵画で世界的に知られた。
エコール・ド・パリを代表する画家です。
そんなフジタの芸術を 「写真」 をキーワードに再考する展覧会です。
本展では、画家と写真の関係を次の3つの視点から紐解きます。
1)絵画と写真に作られた画家 フジタは時代の寵児として多くのメディアを賑わせましたが、そのアイコニックな風貌を世に知らしめたのは、何度となく描かれた自画像や繰り返し複製され流通した自身の肖像写真でした。 フジタが自分自身を描写した絵画と写真を通して、「見られたい自分」 をつくり出し、セルフプランディングしていくプロセスを跡付けます。
2)写真がつくる絵画 多くの画家がそうであったように、フジタもまた写真を絵画制作に活用しました。 本展では絵画に現れた写真の断片を探り当て、フジタの写真活用のプロセスを検証します。
3)画家がつくる写真 本展では、日本とフランスに所蔵されているフジタの写真の中から珠玉のスナップショットを厳選。 フジタの感性を知る“もうひとつの入り口”として、彼が手がけた写真を紹介します。


会期: 2025 7/5 〔土〕→ 8/31 〔日〕
休館日: 月曜日[ただし 7/21、8/11、8/25 は開館]、7/22(火)、8/12(火)
開館時間:10:00~18:00 ※金曜日は 20:00 まで ※入館は閉室30分前まで 
会場:東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口 改札前)
   主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人東日本鉄道文化財団]
**** ****
巡回展
名古屋会場 名古屋市美術館(2025/9/27~12/7)
水戸会場 茨城県近代美術館(2026/2/10~12)
札幌会場 札幌芸術の森美術館(2026/4/29~6/28)


・画像をクリックすると若山 満大 (東京ステーションギャラリー学芸員)の展覧会概要・説明の拡大ページに移ります。

「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

・No38 ドラ・カルムス(マダム・ドラ) 《藤田嗣治》 1925-29年頃 東京藝術大学所蔵

プレス内覧会 「藤田嗣治 絵画と写真
会場: 東京ステーションギャラリー2025_7_4


「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

2025 7_4 プレス内覧会の説明会、プレスリリース 「藤田嗣治 絵画と写真」 図録よりの抜粋文章です。

藤田嗣治 絵画と写真 鉛筆や木炭をカメラに替えて、フジタは絵画の素材として写真を活用していました。 一期一会の出会いを逃がさないように、フジタは旅先のあらゆる景色や人々にレンズを向け、その姿を記録しています。 そして、メモのごとく無造作に撮られた写真の一部――人の相貎、衣服の模様、建築、動物など――を切り出しては、キャンバスの上に構成していきました。 作品然とした見事な写真を手がける一方で、フジタは画家として、こうした実用的な写真の使い方も実践していたのです。 本展では、代表作とその素材となった写真を併せて展示します。 絵画それ自体を味わうのは勿論、写真と比較した分析も面白い“一度で二度おいしい”鑑賞が楽しめます。

展覧会の構成 / Contents
プロローグ : 眼の時代 明治 19年生れ、時代と成長のプロセス、おかっぱフジタは何故? エコー・ド・パリとフランス社会の中。
第1章: 絵画と写真につくられた画家 世界的に映像文化に変化が訪れ、日本では、明治 20年代飛躍的に写真家が増える。
第2章: 写真がつくる絵画 フジタはパリで写真を絵画、色とかたち芸術の中に取り入れる。
第3章: 画家がつくる写真 世界各地の旅先で 50年代のカラー写真を撮り始めフジタの色彩感覚がスライドで見れる。
エピローグ: 眼の記憶/眼の追憶 フランク・シャーマン、阿部徹雄、清川泰次とフジタ。 モンパルナスにアトリエを構える。



「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

No.2 マン・レイ 《セルフポートテート》 撮影年不明 ゼラチン・シルバー・プリント 日本大学芸術学部/No.4 マン・レイ 《ヴェールをして座るキキ》 1922年(後年のプリント) ゼラチン・シルバー・プリント 横浜美術館/ No.12 ヴジェーヌ・アジェ 《ウルサン通り、パリ4区》 1900年(1977年の再プリント) ゼラチン・シルバー・プリント 横浜美術館/ No.13 ヴジェーヌ・アジェ 《パッシー、オー小道、パリ16区》 1901年(1977年の再プリント) ゼラチン・シルバー・プリント 横浜美術館/ No.48 ドラ・カルムス(マダム・ドラ) 《猫を肩にのせる藤田嗣治》 1927年 東京藝術大学/ No.61 濱谷浩 《學藝諸家 藤田嗣治》 1938年 ゼラチン・シルバー・プリント 平塚 市美術館/ No.287 木村伊兵衛 《パリ、藤田嗣治》 1954年(1984年頃の再プリント) ゼラチン・シルバー・プリント 横浜美術館


「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

No.2 マン・レイ 《セルフポートテート》/No.4 マン・レイ 《ヴェールをして座るキキ》 の写真は藤田の 「交遊録」 でもある。 藤田はマン・レイやベレニス・アボットの被写体となり、パリの芸術家たちとの交流を深めた。 1922年頃、藤田はベルギー系フランス人女性ユキ(本名 リュシー・バドゥー) と出会い、1924年から共に暮らし始めた。 文学好きのユキを通じ、シュルレアリストたちと知り合った藤田は、その活動に関心を示した。 藤田がシュルレアリストに合流することはなかったが、これらの写真は彼らの確かなつながりを記録している。

「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

No.12 ヴジェーヌ・アジェ 《ウルサン通り、パリ4区》/No.13 ヴジェーヌ・アジェ 《パッシー、オー小道、パリ16区》 写真家ウジェーヌ・アジェと藤田には共通点がある。 ふたりとも、パリの華やかな部分ではなく、平凡で見過ごされがちな 「周縁」 の光景に惹かれていた、アジェは 「画家のための資料」 と称して、パリの路地裏や外縁地域を撮っては画家のアトリエを売り歩く、 風変わりな写真家だった。 渡仏して間もない藤田もまた、パリの外縁、特に城壁付近の風景を描き、独自の様式を模索していた。 藤田とアジェは少なくとも 1920年代前半には出会っているが、藤田の風景画がアジェの写真に影響を受けたかどうかはわからない。 確かなことは、ふたりが同じ場所に関心を寄せ、視線を注いでいたということだ。

「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

No.61 濱谷浩 《學藝諸家 藤田嗣治》 藤田は 1933年に日本へ帰国すると自身の日本人としてのアイデンティティを絵画と写真で表現した。 日本的な生活道具に囲まれた和服姿の肖像を描き、戦時中には紋服と日本刀を手にした姿が撮影された。 こうした表現には洋行帰りの 「まなざし」 と 「立場」 が関係していると言えよう。 江戸の情緒や精神性、日本の庶民的な風俗を再評価する洋行帰りのまなざしと、挙国一致の時局に人一倍わかりりやすく祖国への愛着を表わせねばならない洋行帰りの立場が、複雑に響き合って 「日本人」 藤田のイメージを作り出している。

「藤田嗣治 絵画と写真」東京ステーションギャラリー

No.287 木村伊兵衛 《パリ、藤田嗣治》 パリを訪れた木村伊兵衛は 1954年 10月 29日、モンパルナスにあった藤田嗣治のアトリエを訪ねた。 木村は都合 4度、藤田を訪問してポートレートを撮影している。 カフェでくつろぐ藤田のスナップは 『木村伊兵衛外遊写真集』 に収録された 1枚で、リラックした表情が印象的な写真になっている。 『アサヒカメラ』 1955年 11月号に掲載されたポートレイトの強い眼力とは対照的である。 「相かわらずのおかっぱで、画業のかたわら洋服も縫えば、写真も写すという器用人である」 という理解のもと、藤田の人格を総合的に捉えようとした木村の仕事は、画家としての藤田を徹底的に見つめた土門拳のそれと好対照をなす。



お問合せ:03-3212-2485
美術館サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人 東日本鉄道文化財団]]
協力:レオナール・フジタ財団、メゾン=アトリエ・フジタ(フランス・エソンヌ県)
企画協力:キュレイターズ
協賛:T&D保険グループ


参考資料:「藤田嗣治 絵画と写真」 プレス説明会、図録、広報用画像、Press Release.、会場内パネル、チラシ他。

※画像の無断転載禁止


ご意見ご感想は  yashio@mui.biglobe.ne.jp

「アイ・エイ・アイ」:IAI
HOME
NEXT
BACK

Copyright © 2002-2025 Yashio.ALL Rights Reserved.